「兄さん・・・」
いわゆるドスの効いた低くかすれた声が、小さなバーの空間を満たした。
カウンターの中でカクテルを作っていたバーテンの手が一瞬止まる。
表情からは、動揺は見受けられないが、額には汗が滲んでいる。
決して、視線は自分の手から離さないという決意が伺われた。
「僕・・・ですか?」
カウンターには彼しか居らず、その返事はいささか間が抜けてるようにも思われるが、
たしかに、聞き返したくなるような相手ではある。
が、全く動じぬその様子はその風貌からすれば違和感を感じずにはいられない。
「天敵・・・ってのを知ってるかい?」
「はあ・・・」
闇に溶け込みそうなその男からは一方的な問いかけが続いていた。
「それを前にすると、本能が恐怖する。それを天敵って言うのさ」
「そう・・・ですね」
「そうさ」
「・・・人はどんなに頑張っても天敵がその気になった前ではどうにもならんのさ」
「はい・・」
「え? 人間の話ですか?」
確かにその男の話の内容は要領を得ない。
しかし、だからと言って普通の人間が返せる答え方では決して無い。
その証拠に、バーテンは完全に動きを止めて震えはじめている。
「人間じゃねぇよ、俺は」
とんでもない物言いではあるが、もし、言葉にも霊が宿るのであれば、
森羅万象は、言霊の一部となってそこではじけとんだに違い無い。
「・・・昔から、俺らは人を喰ってた」
「・・・・」
「それをやめちまったのには理由がある」
「すみません・・・僕、帰っていいですか?」
ガチャン
バーテンがグラスを割った。
あわててカウンターの中に蹲ってしまった。
「兄さん」
「俺は最初からその気であんたにふっかけてるんだが・・・」
「・・・人間と名の付く生き物なら必ずあのバーテンみたいになる」
「これは決まりごとなんだ、俺は天敵だからな」
「はあ」
「つまりだ」
「お前は人間じゃねぇわけだ・・・・」
青年は初めて動揺していた。しかし、それは恐怖では無く目の奥に光があった。
それはここにもし第三者が存在したなら、喜びと見えたはずである。
「おじさん。一杯奢らして下さい」
「ほほう・・・・」
「こりゃ、当分退屈しなくてすみそうかねぇ」
闇の似合う男の最高の笑みがこの部屋の中の空気を一変させた。
この世の、
運命が大きく変わろうとしていた・・・・
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