実家は3丁目。
母の実家もそこにある。
大阪で流れていた時間は昭和40年。
妹が生まれて兄になった歳、小学生1年を過ごしていた。
子供らは大げさでは無くランニングシャツにブカブカの半ズボン。
すぐ体が大きくなると言って、母親が大きめを着せる。
おばあちゃんの家の並びは皆入り口入って土間。
勝手口に至っては、映画ですら出てこなかった自家製木ドア。
お風呂は冗談抜きの五右衛門風呂。
木の底板を踏んで沈めて入る。
燃料はそのへんで拾って来る木。
別に田舎では無い。
昭和40年の風景。
駄菓子屋は100円あれば豪遊できた。
ドーナツは5円で竹ひごのくじを引く。
最低でも1つ。
長いのが出れば、たくさんもらえる。
その前には畑や井戸があり、とうもろこしやなすびが。
おばあちゃんの仕事である。
硬い硬いとうもろこし。
塩で茹でて食す。
これが最高にうまい。
暮れには親戚が20人以上集まり、
盛大に餅つき大会。
もち米を蒸す為の火の番が子供らの仕事。
正月には子供と大人が満員御礼。
任天堂の札が舞い、コマ、凧、すり鉢と10円が舞う。
なんともはや、
時が経ってしまったものだ。
・・・
とりあえず、
今日のは 泣けた
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